1人では生きられないと心から思う
どう言っていいのか自分でもわからない。
なんか1人で物思いに耽るというか、何かについて考え込むときがある。
単純に、「夜ごはんの献立どうしよう」とか「進路どうしよう」とかを悩むのとは違って、その日に起こったことをなんとなく振り返って、「こんなことあって おもしろかったなー」とか「あのとき こうすればよかったなー」とかを考える。でも、考えるっても、ほんとなんとなーく思い返すだけ。
これだけなら、なんてことないんだけど。
何が問題かって、この物思いに耽る時間は、自分で とてつもないさびしさを感じてるってこと。
さびしさって言うのかも分からん。孤独感というか…まあ さびしさか。
さっきまで誰かと一緒だったのに1人になって、ましてや、誰かと一緒にいても感じてしまう。
そして、これは簡単には吹き飛んでくれない。というより、気まぐれ。
すぐに気分が変わるときもあれば、なかなか変わらないこともある。
それこそ、今週の月曜日はめちゃくちゃ楽しくて、さびしさなんて微塵もないほどだった。けれど、日が経って、特に木曜日は、はっきり言ってめちゃくちゃしんどかった。まあ、あまりにもしんどいから、金曜日は気楽に過ごそうと思って、なんとかなった。
それらのことって、何か原因があるかっていうと、はっきりはしてない。
今週に関しては、今週もよく分からないけど、他人と事務連絡ばっかしてたっていうのもあるのかもなとは思う。
どういうことかって言うと、これが本題でもある。
その本題が単純だけど、友達が大切だなって。
ただ手伝ってくれるとかじゃなくて、まさに心の支えってやつ。
「檸檬」の言葉を借りて言えば、
つらいときってのは、えたいのしれない不吉な塊に抑えつけられてるんさ。
そして、それは、友達とおしゃべりしたり、あわよくば一緒にいるだけでも吹き飛んでいく塊。
そう、これまたよく分からないけど、友達の存在が自分の心を落ち着かせる 安心毛布的な存在になってる。
(もちろん、ずっと一緒にはいないよ?いやまあ正直もっと長く一緒にいたいけど。)
それがゆえに、別れのさびしさを生んで、結果よく分からないさびしさにつながってもいる。
でも、生きてさえいればまた会える。どんなに長い間があいても。そう考えるようにしてる。
さびしいのはしょうがない。でもはっきり言って、仮に常に一緒にいられたとしても、良くないと思う。
一生の別れ以外では悲しまない。ただ、『そのとき』は全ての想いをぶちまけよう。だけど、『そのとき』は考えない。だってさびしいから。
ほんと、僕は何を考えてるんだか。