そうそうたのあたまのなか

Twitterの拡張したかんじで使います。

響かせよう心の友にキミの声

やっぱ『歌』って“うったえる”だけあって、自分がその歌と似た境遇にいるときに、そんなときこそ、自分の心に響くんだなって。

 

 

それはさておき、

 

想いを伝えられるのってすばらしいことだ。

 

慈しみ深い、豊かな人間になりたい。

 

僕はそのためにたくさんの経験をしたい。

 

そして、それを己に刻みたい。

μ’sは石鹸じゃないよ

ブログってわくわくする。けれど、最近はサクッと書ききらないといけない現実。

 

関係ないけどAppleのリアルタイム変換的なつめちゃくちゃ便利な。僕は昔からの癖で単語ごとに変換するからちょっと慣れてない部分はあるけど、それにしても便利。慣れたらめちゃんこ速くタイプできそう。他のIMEとのギャップは生まれちゃいそうではある。

 

さて、僕は、気分が落ち込んでいるときであっても他人と話すと気が楽になる理由がわかった気がした。

結論から言うと、会話することで“アドレナリンの感情バージョン“みたいのができるんじゃないかなって。

 

どういうことかと言うと、正直なとこ僕は他人と会うときに、仮に自分が落ち込んでてもそれを気づかれまいと誤魔化すために明るく取り繕うから、その取り繕うために身体が本質的にそういう“アドレナリンの感情バージョン“を作っててそのおかげで自分が落ち込んでるって事実を一時的に忘れるんだと思う。

 

他人と話すことでそれが造られるから、楽になるんじゃないかな。

 

なんか深くもないことを書いてしまった。

 

月に一件くらいは書きたいけどね。次はいつの日か。